試練よ、ありがとうございます。
私たちは人生を送る中で、数々の試練に出会うように生まれついているようです。
それは仏教やキリスト教でも、宗教的見地から語られていますが、実体験からもつくづくそう思います。
試練に直面した時、皆さんはどんな風に考えるでしょうか?
「なぜオレだけがこんな目に会うのか?!」と考え、会う人ごとに愚痴るでしょうか?
あるいは、「やはりワタシは不幸な星のもとに生まれついているのだ~」と嘆き、半ば引き籠って日々を過ごすでしょうか?
試練を克服し、そこから一刻も早く抜け出して上昇するために、私たちが採るべき心的態度は一つしかありません。
「天よ! 試練を与えてくださり、ありがとうございます!」
この「天」と言うのは、「宇宙の意思」でもいいですし、「大自然」でも「神様のような存在」でもいいのですが・・・。
私たちちっぽけな個々人がどうすることもできない、とてつもなく大きな存在のことです。
そして、これはよく言われることですが、自分が乗り越えられる課題しか、目の前に立ちはだかることはないようです。
課題をクリアして、そこから何かを学びそれを超えていくならば、私たちはそのたびに大きな何かをつかんで成長できるようです。
眼前を阻む困難に押し潰され、ただただ他人の助けを待つばかりで長いこと苦悶の日々を送るか・・・。
克己して上を向いて立ち上がり、やがて勝利の美酒に酔うか・・・。
選ぶことができるのは、結局自分だけなのです。
また、目の前に大きな二つの分かれ道がある時、「挑戦と困難の道」を選んでも、「平和と安穏の道」を選んでも、その人に合った「試練」が、どうやら用意されているようです・・・。
さて、私が選ぶ道と心的態度は・・・。
言うまでもありません・・・。